2019年10月17日
「調子いいよいいよ、お酒足りんくらいなことで」
「こないだおはぎ食べた、美味しかったなぁ」
「昔は下剤なんか使わなくても便が出たのになぁ」
「自分の子供が実は血がつながってないんじゃないかって、心配で…」
定期の診察を「調子はどうですか?」の一文で始めると、
実に多彩な答えが返ってきます。医師の目で見て聞いて触った病状のみたてと合わせて、
少しでもその人のお役に立てるよう、暮らしぶりや個性を見つめなおす時間です。
一方で、こんな報告もあります。
「熱は出てないです。食事は摂れてますし、便も出てます。」
「痛みはないようで、よく眠っておられます。」
どちらも通院の難しい、在宅医療の現場です。
無事で何より、苦痛がなくて、何よりです。
けれどもそれはただの、生き物としての患者さんの状態です。
例えばこんな毎日はいかがですか。
朝起きる。洗面所まで歩けない方は、顔が洗えないかもしれません。
こびりついた目やにで眼がただれることもあります。
食事は飲み込みに配慮して、刻んだり、ペースト状になっていたらどうでしょう。
得体のしれないものは早く平らげてしまいたい。食事の愉しみが暮らしの中からなくなります。
食事を摂って、ベッドで休む。また食事を摂って、合間にトイレに行く、オムツを替えてもらう。
施設では季節の行事が繰り返されるけれど、手作業もおしゃべりも、流れてくる歌も、実は
好きじゃない方もいます。
行きたい場所への行き方は思い出せないし、独りで出かけられそうにない。
毎日同じ風景で、会いに来てくれる人はほとんどいない。手紙も電話も来なくなる。
確かに熱はないし、食べて出して、眠っている。
「愉しいことなんか何にもないよ」「やりたいこと、特にない」
これもまた在宅医療の現実です。
やらなければならない仕事、お世話しなければならない人、かなえたい夢。
行きたい場所、話したい誰か、食べたいもの、大好きな趣味。
かつて患者さん達の毎日も、たくさんの出来事であふれかえったはずです。
それがいつしか病を持ち、歳を取り、自分らしさや自由を奪われる。
そこに皆が老いを恐れる所以があるのではないでしょうか。
けれど私はわがままな生き物、
それでも最期まで、面白きことも無き世を面白く生きていたい。
沢山のものを失いつつある時、それでも今日を明日をと生きていけるような
喜びは果たしてどこにあるのか。
病気が治せなくても、老いが忍び寄っても、降っても散っても愉しい。
私たちはプロフェッショナルとして、この理想を叶えたいと思っています。
ひとつひとつの具体策を、またこちらでご紹介して参ります。