2020年2月26日

延命治療と愛。

「先生、その方その介護サービスがないと生きていけません」

生きるとは何か。どこからが延命治療なのか。
 
心臓が鼓動し、呼吸が続き、食事は消化され糞便となり…
 
痛みはなく、熱もない。室温は快適に保たれている。私たちの日常とはそんなものでしょうか。


 
それは違うとみんな分かっているはずなのに。

言葉を失った人でも、身体の自由がきかない人であっても、
 
喜びや安らぎや、希望がないと、ひとは生きていけないから、
 
それをサービスで提供するとなると、どんなサービスになるでしょうか。

多分そのサービスは、何の加算も取れないだろうし、
 
やたらと評判になって、人気を博することもないんじゃないかな。
 
お金にならないし、喜んでくれる対象は自由な表現ができなかったりするわけで。

そんな弱い立場の人たちに、家族さんがされているサービスはとても自然だ。
 
食べやすいようにお菓子を牛乳に浸して出す。
 
焼酎の湯割りにとろみをつける。
 
好きなアニメをつけておく。

でも生きていくって、延命ってそういうことじゃないだろうか。


 
それがその人にとっての人生の本質であって、生きづらい世の中を
 
生きていくための心の支えになっている。


 
ではなんで彼らはそれに気づけるのか。
 
生きていてほしいからではないでしょうか。

辛い余生を生きていくために必要なのはサービスではなくて、
 
生きていてほしいと思う誰かの愛だと思う。

愛がなかった時どう生きるか。
 
サービスで愛が伝わればいいと思う。


 
次の報酬改定の時にでも、愛を物差しで測るような仕組みができればいいのにな。

綺麗ごとは言わない。お金で成り立つ愛があったっていいと思う。
 
心が温かければそれで。