師走の慌ただしさの中で見えるもの
年の瀬が近づくと、町はせわしなくなる。けれど、在宅医療の現場では、そんな中でも止まらないものがある。
——それは、家族の愛。
日本人は、ことにこの町・米子の人々は、愛を言葉にすることが少ない。それでも、ご自宅に伺ってお話をしていると、はっきりと分かることがある。
医師としての役割、それ以上に大切なこと
もちろん、私の役目は、診察をして処方を出し、処置をすること。それが医師としての基本的な仕事です。
でもそれだけでは足りない。患者さんの気持ち、家族の思いを診療に反映させること。それが、在宅医療においては何よりも大切です。
在宅医療の現場にある「愛」のカタチ
「もう私の姿が見えなくなると、そわそわして大声出してやんなっちゃう。」
旦那さんを支える奥さんが、笑いながらそう話す。
「奥さんがいてくれていいね、大好きなんだよね。」そう言うと、旦那さんはデレデレと照れ笑いをする。
「何だかんだ言うてね、一緒におりたいと思っています。」「いつ介護をやめるの?」と聞かれた旦那さんの答えは、「わしが倒れた時や。」
不器用な人もいれば、マメな人もいる。けれど、その言葉にはみんな魂がこもっていて、嘘がない。
介護は決して楽ではない、それでも——
家のことをこなしながら、仕事をしながらの介護生活。決して楽ではない。医療行為が必要な方ならなおさらのこと。
だからこそ、家族を思って家を離れることを選ぶ人もいる。勇気を出して治療を受ける人もいれば、治療をしない道を選ぶ人もいる。
どれも間違いではなく、それぞれの答えがある。
安心と引き換えに、失われるもの
療養のための施設や病棟を勧めるのは簡単。けれど、安心を得る代わりに、一緒に過ごせる時間はずっと少なくなってしまう。
答えは決して単純ではない。
なぜなら、そこに「愛」があるから。それは、医療者が考えているより、もっと深く、もっと難解なものなのかもしれません。
「アイラブユー」と言わない愛
「愛しています。」「大好きなんだ。」
そんな言葉が飛び交うわけではない。
でも、確かにそこには絆がある。夏目漱石が「I love you」を「今宵は月が綺麗ですね」と訳したように、この町の人たちも、分かりにくいかもしれないけれど、確かに愛を伝え合っている。
この年の瀬に、思うこと
あなたも、どうか体に気をつけて。そして、もし大切な人がいるのなら——
この在宅医療の現場でも、患者さんたちが同じように想いあっていることを、どうか思い出してください。
そんなことを、この年の瀬に考えています。

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