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食べる延命、食べられない延命…そもそも延命とは

  • 執筆者の写真: 米子の在宅医療・緩和ケア よだか診療所
    米子の在宅医療・緩和ケア よだか診療所
  • 2020年12月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:3月8日



「延命療法」という言葉が、忌み嫌われて久しい。

その意味は、

「治癒の見込みがない状態での生命の存続を図るための対症的な治療」

「これって延命治療ですか?」「延命はしたくないです。」

——誰もが口にする言葉。

在宅医療の現場は、延命治療で溢れている。しかし、それが**「いい」か「悪い」かという物差し**は、どこにも存在しない。


なぜ、延命は問題になるのか。

治せない病気がある。

抗えない老いがある。

それでも、人は今日を生きる。そして、明日も生きる。

その生を支える人が、必ず存在している。たとえ独居であっても、人は独りでは生きていけないのだから。


「生きていてほしい」と願うこと、それも延命。

介護度の高い方の「排泄の問題」は、介助者にとって大きな悩みとなる。

衰えゆく身体で、トイレに通うことの難しさ。

自尊の問題。

介助者の負担。

それでも——その人は食べている。自分で口に運ぶことができなくても、食べさせてもらい、飲ませてもらっている。

そして、食べることは生きること。

「今日も明日も、一緒に生きていてほしい。」その一心で、介助者はこの悩みと付き合いながら療養を続けている。


「口から摂らせる」延命も、愛のかたち。

近年、胃瘻や輸液が問題視されることが増えた。しかし一方で、「口から摂らせる」延命もまた、増えている。

その背景にあるのは、愛。

「胃瘻や輸液は嫌だけど、自然な形で。」

「生きていてほしいから。」

「生きることを支えたい」という想いが、延命につながる場面は多い。


「とても大変だったけれど、愉しかった。もっとお世話してあげたかった。」

この言葉に、私は驚きを隠せなかった。

介護が辛く、悩んでいたあの頃。もう長くはないだろうと思われた命の灯を、必死に経口摂取でつなぎ止めていた人。

そして、大切な人を喪ったあと——

あの時の苦痛が、大切な思い出へと昇華される瞬間を見た。


だから、私は「延命」を否定しない。

想われる側がいる。

想う側がいる。

それぞれの辛さと希望に耳を傾けることが、医療者の役割。ともに「今日を生きている」間柄として、投げかけられた問いに答える。


延命は、愛ゆえに難しい。

「生きていてほしい」という声に、どう答えるのか。

それは、一人一人の心の在り方次第。

誰かの物差しで測るものではない。

どうか、あなたの言葉で語ってほしい。




 
 
 

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