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在宅医療の「かわいそう」な現実。どう向き合う


「何だか見てるとかわいそうで…」

最近はたと気づきました。 いつからその患者さんは

かわいそうだったのか。

病気そのものがかわいそうなのか、 環境が整わないことがかわいそうなのか。

「こんな体 悔しいね」そりゃそうだ。 「やってらんない もうだめだ」そうだそうだ。 言葉にするのは空しいことじゃない。そこから現実と向き合う力が、 寄り添う勇気が生まれてくるから。

だけど 「かわいそう」。 この言葉にはばねがない。辛い現実から希望を見出す、 大変で大切な取り組みに必要な、ばねがない。使い物にならない。

ある医者はとことん治したい。 またある医者は、治せないなら、とことん家で過ごしてもらいたい と思う。

知識を持ち寄って、病巣や苦痛と闘っている。

そこに情熱を傾けるけど、 在宅では24時間患者さんに物質的に付き添うことはできなくて。

病を抱えた人が家で暮らしを立てるには、切れ目ない誰かの支援が必要であり、 「ここにいていいんだよ」と態度で示すことが必要。

だから支援者にかわいそうと言われたら。それはどこか他人事で、冷たく 響いてしまっても仕方がない。

そもそもかわいそうな人なんかいないほうがいい。 今日、今ここで、普通に生きてるあなたは、 「あなた、かわいそうね」って、 言われたらどんな気持ちだろう。

どんな病気にかかっても、障害があっても、社会的な枷があっても、 みんな、かわいそうなんかじゃない人生を生きてほしい。

自分の足で、仮にそれが動かなくても、心はまっすぐに立ち上がって、 じぶんだけの人生を最期まで歩んでほしい。

それがどんなに辛いことか、想像を絶する困難を伴うか、痛いほどわかっています。 だから私たちは笑顔で、また次の診療に伺いたいのです。

映画「セブン」でモーガンフリーマンに、ラストで語らせるんですけど、 「人生は素晴らしい。戦う価値がある。僕は後の半分に賛成だ。」。

闘うのは病気や障害となんかじゃなくて、自分の人生を生き切る勇気を持って、 ひとりひとりが自分の弱さに向き合っていくってことなんじゃないかな。 素晴らしいと思える勇気は、後からついてくるんだ。

健康なひとに向けて言いたいのは、人生はあっけないってこと。 そして人間は驚くほど弱い。


そして時に思い及ばぬ強い一面を持っている。



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