top of page

延命治療と愛。




「先生、その方その介護サービスがないと生きていけません」




生きるとは何か。どこからが延命治療なのか。 心臓が鼓動し、呼吸が続き、食事は消化され糞便となり… 痛みはなく、熱もない。室温は快適に保たれている。私たちの日常とはそんなものでしょうか。


それは違うとみんな分かっているはずなのに。

言葉を失った人でも、身体の自由がきかない人であっても、 喜びや安らぎや、希望がないと、ひとは生きていけないから、 それをサービスで提供するとなると、どんなサービスになるでしょうか。



多分そのサービスは、何の加算も取れないだろうし、 やたらと評判になって、人気を博することもないんじゃないかな。 お金にならないし、喜んでくれる対象は自由な表現ができなかったりするわけで。




そんな弱い立場の人たちに、家族さんがされているサービスはとても自然だ。 食べやすいようにお菓子を牛乳に浸して出す。 焼酎の湯割りにとろみをつける。 好きなアニメをつけておく。




でも生きていくって、延命ってそういうことじゃないだろうか。



それがその人にとっての人生の本質であって、生きづらい世の中を 生きていくための心の支えになっている。



ではなんで彼らはそれに気づけるのか。 生きていてほしいからではないでしょうか。

辛い余生を生きていくために必要なのはサービスではなくて、 生きていてほしいと思う誰かの愛だと思う。




愛がなかった時どう生きるか。 サービスで愛が伝わればいいと思う。




次の報酬改定の時にでも、愛を物差しで測るような仕組みができればいいのにな。

綺麗ごとは言わない。お金で成り立つ愛があったっていいと思う。 心が温かければそれで。




bottom of page