新しい1年が来ました。
2021年。何か1歩踏み出した感がある数字ですね。
昨年はコロナ、コロナだらけ。
コロナしかなかったかと言われれば、決してそうではありません。
かのイタリア近代童話作家、ジャンニ・ロダーリが
私たちに伝えたかったこと―
「この両腕を使って 今までなかったもの・足りなかったものを
世界に生み出し続けていくこと」を、
自分たちなりに考え、取り組み、一時ごちゃごちゃになりつつも、
そんな時はしばしば焼き肉を食べ、小児と同レベルの仮眠を取り、
仲間たちで再びまとめあげ、文字通り叫び、
一つ一つの答えを出そうと走り抜けた1年でした。
やってみたこと…枚挙にいとまがないのですが、
輸血だって腹水穿刺だって不思議なドレーンだってカテコラミンだって、
何だっていいじゃないかと受け入れていけたことは収穫でした。
一方で気が付いたのが、在宅中心静脈栄養の凄まじい普及…。
ぼーっとしているとあっちにもこっちにも高カロリー輸液が。]
*注)
(胃瘻より抵抗がないのかもしれません。「点滴すると元気になる」
イメージがこれを後押ししているのかもしれません。
経腸栄養の拡充が大前提なのはもちろんのことです。
誤嚥性肺炎との付き合い方も分かりかけた1年でした。)
しかし、大きな課題は別にあります。
それはやはり、
かなりシンプルで普遍的な問いかけだったのでした。
「ずっと一緒に居たい、いつまでも生きていてほしい」
じゃあ救急車呼ばないといけないんでしょうか。
「こんな体で家族に迷惑かけたくない」
そんならずっと入院してたり、入所してたほうがいいのでしょうか。
そんなに単純な願いではないのです。
私達はそのような問いに、理性的で知見に富んだ、かつ寛容な姿勢で臨みたい。
在宅医療のルールは一見複雑だけどシンプルなもので、
「こんな状態なのに家に居ちゃいかん」という取り決めはありません。
大切なのは個々のケースで、より具体的に的確に。
「ここが凝ってるじゃん」というピンポイントの分析と、
「まぁそうだよね」という受け止めを繰り返していくことです。
決して冷徹な知性ではなく、人間臭い悩みのために、誰に対しても
寛容さをいつも忘れずにいたいと思います。
降っても散っても、いつもの場所で過ごせる愉しみを一人でも多くの方と
分かち合えるように。
書初めしてみました。
本年もよろしくお願いいたします。
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