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在宅医療は本当に“やめた方がいい”のか?

  • 執筆者の写真: 前角 衣美
    前角 衣美
  • 5月28日
  • 読了時間: 5分

更新日:6月1日


在宅療養中の高齢者に寄り添い、笑顔で会話を交わす女性。自然光が差し込む和室で、穏やかな時間が流れている。

はじめに――「やめた方がいい」と言われたときの迷い


在宅医療を選ぶとき、不安を抱かれる方は少なくありません。


地域に「孤立化」「高齢化」「貧困化」が進む今、療養のイメージに付きまとう負担の多さに、躊躇される方は増えています。


特に、信頼しているどなたかから「やめた方がいい」「うちは最悪だった」という経験談を聞かされたとき、その言葉は頭から離れなくなります。


あるご家族もそうでした。お父さんの病状が進行し、病院から「これからはご自宅で過ごす選択肢を考えましょう」と提案されたとき、当院をご紹介いただいたものの、ご家族は深く迷われていました。


「本当に家で看られるんでしょうか」「何かあったとき、すぐ来てもらえるんですか?」「父が苦しむようなことになったらどうしたら……」

その迷いは、医療に関わる者として、決して軽く受け取ることはできませんでした。



在宅医療をためらうご家族の不安に寄り添って


不安と緊張に包まれて、それでもお父さんの希望に沿って自宅退院を許可して下さったご家族さんに、初回の訪問で、私たちは丁寧に心情を聞き取り、不安をお伺いし、厳しい予後を踏まえて考えたい症状緩和と緊急時の体制、ご家族の役割などを、包み隠さずお伝えしました。


「不安があって当然です。まずは一緒に、お父さんのご様子を見てみましょう。何かあっても、必ず私たちが対応します」そう言って、関わりが始まりました。



住み慣れた自宅で再び取り戻した「生きる力」


ご家族は最初、介護の一つひとつに緊張されていました。状況を変えてくださったのはご本人でした。自宅に帰れたことを本当に喜んでくださり、また今まで通り暮らせるようにと、奮闘を始められたのです。


「柿をもっと食わせろ」「お粥じゃなくてごはんだ」と食事にも意欲的に注文され、生きる活力が戻ってきたようでした。住み慣れた自宅に帰って活気づくお父さんを見て、娘さんも「元気になってくれてよかった」と喜んでくださいました。


その方の選んだ場所で過ごし、暮らしを立てること。それが生きる力を引き出すことにつながることを、身をもって大観されているようでした。


ご本人も医療者に打ち解け、表情が少しずつ柔らかくなり、ベッドサイドに笑い声が戻ってくる頃、愉しい時間が流れていました。病院では決して勝ち得ることのできなかった、至高の時間でした。



ご本人の意思が導いた、かけがえのない時間


そして、最期の日。ご本人はご家族に囲まれながら、静かに息を引き取られました。その日は、まるで季節の変わり目のように、穏やかで、静かな一日でした。


退院後も、ご本人は「最後までトイレに行きたい」と、毎日懸命に歩かれていました。その努力が体に負担となり、心不全が再燃。利尿剤の注射が続く日々がありました。それでも、「食べたい」と娘さんに料理を頼まれるほど、生きる意志は衰えず、ご家族との暮らしを大切にされていました。


ご家族は、目の前で進んでいく病状に戸惑いながらも、「どこにいても病状は進むのだということ」「いま・ここで、自分らしく納得のいく時間を過ごせていること」この二つを、私たちとの対話の中で理解してくださり、ご自身を責めることなく、胸を張って介護に向き合ってくださいました。


その冬、ご家族で開かれた小さなクリスマスパーティ。体重も少しずつ戻り、苦しさを抱えながらも言葉を交わし合った年越しの夜。点滴を外して迎えた新しい年のはじまり。どれも、ご本人とご家族にとって、かけがえのない記憶となりました。


ある日の診療の終わり、娘さんが私にそっと言葉をかけてくださいました。

「先生、本当にお願いしてよかったです。あんなに迷って、“やめた方がいい”という言葉に引っ張られそうになったけど……やっぱり、父の思うように、自宅に帰って来れてよかったです。」



「やめた方がいい」と言われたけれど選んでよかったという声


在宅医療には、家族に負担を強いるという否定的な意見が存在します。それもまた現実ですし、すべてのケースが理想通りにいくわけではありません。けれど、私たちは医療者として、目の前の患者さん一人ひとりの人生に、真剣に向き合うことを忘れずにいたいと思っています。


人生は、一度しか選べません。病状の悪化した方々にとって、自身の過ごす場所を選ぶことは、最後に残された最大の権利であり、自分らしさを取り戻せるチャンスだと考えます。

誰もが自宅を目指して闘病することが出来たら。どんな状態でも自分の居場所を尊重してもらえるという安心感、そこで過ごす喜びは、何ものにも代えがたいものです。


誰かの経験が、「やめた方がいい」と語られることもある。けれど、「選んで本当によかった」と語ってくださる方々もおられます。その違いを生むのは、患者さん、ご家族、そして医療者の「関わる姿勢」だと、私は思います。



在宅医療を広げるために――「麦の種」の取り組み


当院では今後、「麦の種」と称して、在宅医療の体験談を集め、みなさんのもとにお届けする活動を本格化させたいと考えています。


一粒の麦の種が大地に根付き、穂を付けたら、その周りに沢山の芽吹きが出来ます。みなさんの「よかった」という声が、もっとたくさんの方に届けられたら、「よかった」と言ってもらえる素敵な思い出を、もっと増やすことが出来たらどんなにいいでしょう。


自宅で過ごすことを諦めない仲間たちを、もっと増やせるように、私たちの情熱を知って頂けるようなお話を続けていきたいと思います。



おわりに――悩んでいる今こそ、大切な選択を見つめて


もし今、在宅医療を前に迷われている方がいらっしゃれば——どうか、誰かの言葉だけで決めず、その大切な選択は、患者さんにゆだねてみてください。そして悔いのない話し合いと、ご自身たちの思いと希望を大切にされてください。


私たちは在宅チームとして、その思いを支える力になれるよう、誠実に関わってまいります。



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